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真山に登ってきました

2012年9月24日

松江市街地の北東に「真山(しんやま)」という標高256mのあまり目立たない山があります。
この真山は、16世紀半ば頃、中国地方で勢力を広げた尼子(あまご)氏の山城で、毛利軍との 激戦の舞台となったところです。 

写真1

研究開発型企業団地である「ソフトビジネスパーク島根」の西横の登山口から、いざ出発!
前日の雨で滑りやすくなった赤土の溝状の登山道に足を取られない様、慎重に歩を進めると、 すぐに尾根沿いの平坦の道。
周りの広葉樹や常緑樹を伝ってくる風が心地よく感じられます。
登り始めてから15分ほどで、そびえ立つ送電鉄塔の下に出ましたが、そこからは、すぐ眼下に ソフトビジネスパークの中核施設「テクノアークしまね」、遠く南東側には中海が望めました。
天気の良い日は、その先に伯耆富士である大山も浮かんで見えるそうです。

写真2写真3

鉄塔から少し先に歩を進めると、傾いたお墓がありました。
「相木盛之助・更科姫の墓」と彫ってありましたが、ネットで調べたところ、尼子氏の重臣として有名な山中鹿之助の両親の名前であり、
山中鹿之助を顕彰するために、昭和初期に石碑替わりに地元の有志の方が建立したようです。

写真4

狭い尾根筋の急な坂をいくつか登ると、ほんの少し広い場所があり、「真山城三の床(丸)跡」の標識、 続いて登ると「二の床(丸)跡」、
「一の床(丸)跡」の標識に出くわし、そして、いよいよ頂上(本丸跡)へ。
ここまで一時間弱でした。
頂上は、広場となっており、真ん中には、真山城に立て籠もった「尼子勝久(1553年~1579)」の碑が ありました。
せっかくなのでお賽銭を置かせていただくと、そこには、家紋が彫ってありました。
尼子氏の家紋は四角を四つ並べた形のようですが、これはなぜか菱形でした。

写真5写真6写真7

頂上からは眺めをさえぎる高い樹はなく、特に南西方向は、宍道湖が一望に広がる絶景でした。
残念ながら、この時は夕方ではなかったのですが、宍道湖の空が真っ赤に染まった時は、 さぞすばらしい眺めなのでしょう。

写真8

尼子勝久や山中鹿之助らは、この真山の地から、宍道湖に沈む夕日をどんな心境で見つめていた のだろうと思いを馳せながら、山頂を後にしました。

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